周辺 本のこと

期間限定して、周辺のひとの本の関わりについて、聞き耳したことを紹介します。

第8弾

 地元(愛媛)の大学に在籍していた時から来てくれてるひとです!
 
宮本

自転車で中学校に通っていた。十年前のことだ。
 国道から一本それた路地で窮屈そうに軒を連ねる家々。ある木造家屋の二階にその窓ははまっていた。
 朝、それが必ず開いていることを私は知っていた。ペダルを漕ぐ私が顔を上げると窓枠の向こうに一人のお婆さんの姿が見える。私は笑い、慎重にバランスを取りながら彼女に向かってひらひら手を振る。するとその人は微笑み、そして手を振り返してくれる。
 そんな五秒足らずのやり取りを毎朝繰り返していた時期がある。多分、初めはいつも窓を開けて外を眺めているその人を横目で見るくらいだった。それがいつの間にか会釈になって、手を振り合うようになっていた。
「多分」やら「いつの間にか」やら、きっかけはこんなに朧げなのにその人がいつも薄ピンクのパジャマを着ていたことはいまだにちゃんと覚えているんだから、人間の脳というのは本当にわけが分からない。

 ところで私の実家は山の中にあり、その地方では珍しく、冬になると深く雪が積もることもあった。凍った山道と自転車の相性はどう考えても最悪過ぎる。だから私はその年の冬も、まだ暗い時間に出勤する父の車に乗せてもらい、暖房のよく効いた後部座席でほとんど眠りながら学校に通った。付け加えると、狭くて走りづらい路地をわざわざ車で通る理由は父にはなかった。
 だから私がその真っ暗な窓を見上げた朝、季節はもう春に差し掛かっていたのだと思う。

 数週間ぶりに通る路地。軒を連ねる家々の内の一軒。どんな日も必ず開いていた二階の窓は完璧に閉め切られていた。それから何日経っても窓が開かれることはなく、その奥はずっと暗いままだった。
 そういえばあの人の名前すら知らなかったと気付いたとき、既にその家は空き家になっていた。

『砂漠が街に入りこんだ日』の話をする。
 韓国出身のグカ・ハンは26歳で渡仏し、その6年後この短編集を発表した。フランス語で書かれたという8編の語り口はどれもシンプルだ。そして、この上無く美しい。
 何より作者はこの作品集の中で、何一つとりこぼすことなく「孤独」を書き切っている。例えば恐怖/困惑/空虚/断絶/怒り/雑音/静謐/鮮やかさ。孤独にまつわるそんな一切合切を、言葉で軽やかに掬い上げている。なんでこんな事が出来るんだ? 人間ひとりの両腕で海をまるごと抱きしめるようなことが? けれどグカ・ハンはそんな途方もないことをこの小説でやり遂げている。そうやって彼女が掬い上げたものの中に私のささやかな孤独も含まれていた。
 冬の間にどこかへ行ったお婆さんの名前を私は知らない。声すら聞いたことがない。毎朝手を振り合っていただけだ。もっと多くを覚えていられたら良かったのに、鮮明なのは薄ピンクのパジャマだけ。
 けれどこの小説を読みながら、空っぽの家を通り過ぎた朝の寂しさを私は思い出したのだ。今になって。



 

休符

 本の紹介をお願いした人と、連絡が不通になっているので、自分が最近読んだ本とそれを読むに至った経由を…。
 たしか7月のある日、なにかの都合でお店を休んだ。とはいえ、落ち着くところがお店であり、店の在庫の整理やらネット注文の段取りとかがあったから、、扉を閉めて店内で作業してた。そしたら、扉が開いて、見覚えのあるひとやって、そのひと入ってくるなり、本を8冊くれって言ってきた。驚いて、言葉にならず、うろたえてたら、あっ、三津浜の餃子屋さんやって、間をおいて理解した。酒気を漂わせて、すこしの間にその数の本を選び終えた。そして、本人が探しているという「浴室」というタイトルの本は無いかと尋ねられたので、見覚えがなかったが、浴室という名前の映画のパンフレットがあったので、これはどんなです?と聞いたら、なんか感嘆の声を上げていたようないなかったような。ついで、こんなんありますよって、「竜二」のパンフレットも出した。主演の金子正次さんが愛媛出身とは知っていたけど、餃子のぶさんのツボに入ったらしく、そのパンフレット2冊は、自分の為にと買ってくれた。
 その日、友人から聞いた話によると、その日は、餃子のぶさんの誕生日で誕生日会があって、その来てくれる人にのぶさんからあげる本を探しに来たようだ。そして、パンフレットは、いまだうちに置いていってる、支払いは済んでて、覚えていたら今月来るということなのだけど。その間、「浴室」の原作である小説を取り寄せて読んだ。同じ著者の「カメラ」も読んだ。個人的には、「カメラ」が好きだ。





第7弾  ヤオキさん 
 
ストーカー ストルガツキー兄弟著 ゾーンに行けば未知なる遺留物がある。それを持って帰れば大金になる。愁いを掃う玉箒が如く、ストーカーは今日もえっちらおっちらゾーンへと足を運ぶ。
(読後浮かんだイメージを音楽にしてみました。)





 第6弾

お店はじめてからの、本仲間と勝手おもっています
ヒサミ さん

実家の犬が死んだ。
って書いて、いや、そんなもんじゃない、って思った。

犬でもないし、死んだんでもない。
本当はそうなんだけど、何か違うって思った。

 今、本当に本を読むことから遠去かっている。でも、二週間に一度近所に来る移動図書館車には出向き、必ず20冊借りている。そのほとんどが、子供のための絵本で、あとの数冊自分用に、軽くパラパラ出来る本を借りる。あと1冊何借りようってなった時に、偶然時に手に取って持って帰った
「さざなみのよる」。
木皿泉も本当はどうでも良かったし、小説も全然読んでいなかった。ただ、装画が意外にも荒井良二だったので何か引っかかった。

「死ぬって言われてもなぁ、、」で始まるこの本は、40代?で亡くなるナスミにまつわる人々の、ある一コマを次々に描いて行く小説。

読み始めたら、この本の世界と現実が溶け合って、不思議な感覚で時を過ごしている自分がいた。

生きると死ぬ。それはものすごく反対の世界なのだけど、その生きる、の中の本当に些細な、ある人のただ一つの動作ですら、美しい、というか心地よい空気に包まれていて、それが尊い。それは、死ぬ、ことと真逆の話ではない、、、みたいな感じ(笑)

読後、12年間ずっと一緒にいた愛犬を亡くしたばかりの母に、この本を渡した。
数日して、
「あの本。まるで、ピース(犬の名前)や、、」と母は言って、私も「うん」って深く頷いた、、。一切犬なんて出て来ないし、
沢山いる登場人物のどれとも違う気がするけど、、、やっぱりそういうことなんだな、、、ってぼんやり考えていた。

色んなこと、人のタイミングが重なり合って、今この時が出来ている。
それなのに本って、書かれた時代や背景も全然違うのに、その時の自分に何かしらの働きをして来る不思議な存在だなぁと改めて考えていた。

そんな時に、あまりに久しぶりにあまりにバッタリ浮雲書店主に会って、最近読んだ本の紹介を、と言われ、すんなり、ハイ、って言ってしまった、、のでした。

第5弾

浮雲書店のマドンナ的存在
アカネさん

先日読み終わった本です。
本好きの心をくすぐるあらすじに誘われて、手に取りました。

聖遷暦1213年、エジプトはカイロが舞台のお話。
カイロを侵略しようと迫り来るナポレオン艦隊。それに対抗するため「災厄の書」をナポレオンに献上しようと計画する。その書物は、読みはじめると仕事を投げ出すほどに熱中し、読む者すべてを魅了する物語で・・・

本書では作中作として「災厄の書」の物語が語られるのですが、これが大変に面白いです。
じわじわとナポレオンが攻め入ってきているのだけど、私自身、そんなことより物語の続きが気になる!まんまと「災厄の書」の術中にはまっていることに気付きます。
あまり読み慣れない、あやしげなアラビアンナイトの世界観も魅力的です。


第4弾

県内の大学在学中に、柳井町商店街に設置されていた、灰皿を目当てにタバコを吸いに来ていた、青年3名による本の紹介。

水本

 寺山修司による詩論「暴力としての言語」

短歌、演劇、ラジオドラマ、写真、映画など、あらうる媒体を通して、激動の時代における『詩』を表現し続けた寺山修司。「走りながら読む詩」「集団から成る詩」「記述されない詩」など、計7章から構成される本著では、「詩とは何だ?」という単純な問いが、非常な切迫感をもって読者に突き付けられる。

寺山修司の詩はいつも現在形で、他人を必要とする。それは、街を劇場にもどす為の挑発行為であり、怠惰な日常に対するスキャンダルである。標的は、便所に立てこもるきれ痔の萩森か、一人きりの書斎で煙草をふかすだけの柚山か、一日キッチリ8時間オフィスで暇を潰す僕か、それは分からないがとにかく、現在に安心している私達なのだ。

萩森

 この本を初めて読んだときに感じた『恐怖』は、未だに忘れられない。 薄暗い父親の書斎、壁一面に並ぶ本、その中でも、異質な雰囲気を漂わせていた角川ホラー文庫の並び。際立つ、『リング』の文字。手に取り、表紙を見たときの言い知れない嫌悪感。1ページめくるごとに、肌にへばりついて離れない怨念。 母が仕事から帰ってくるまで、私は読みはじめの姿勢を保ったまま、書斎の隅に固まっていた。身に迫るかのような恐怖を、本を通じて感じたのは後にも先にも、この本だけかもしれない。


第3弾

松山市三津
蛙軒(げろけん)

「最近読んだ本。J.M.クッツェーの「マイケル・K」。今年、浮雲書店で買いました。
あまり海外文学に詳しくないのだけど、唯一、、と言ってもいいくらい新刊をチェックしているのがアディーチェ。その訳をされているくぼたのぞみさんが訳者だったので、買ってしまいました。体制からの非情な暴力だけでなく、善意をも拒み続けるマイケルの生き様が、強烈に印象に残る作品でした。クッツェーは、五月に「鉄の時代」という新刊が出たばかり。「マイケル・K」に出会っていなかったら、これも見逃していたかも、、。
 あと、随分前だけど、田中小実昌さんの「ぽろぽろ」も、浮雲書店で買ってとても心に残っている一冊。古本屋では、買うはずじゃなかった、探していなかった本に出会えるのが楽しいです。」



第2弾

愛媛県喜多郡内子町五十崎
ゆるやか文庫 

今読んでいる本は、
紙舗 直(http://www.papernao.com/)の店主さん発行
『紙の大陸』です。
友人にお店を勧められ、東京へ遊びに行った際に訪れ購入した本です。
大判で、内容も濃く中々じっくり読み進めれてなかったのでこの時期にと。


和紙や紙に関することが書かれた本はついつい収集してしまいます
パラパラと紙の重さを手に受けながら、選び、購入するのが好きです。
見返しに使われてる紙の素材、目次の項目なんかを見ながら。

本文の紙は著者自ら、できるだけ長持ち(修復用紙レベルで)する紙を選び、印刷は写真も大事だけど、何より文字をきっちり刷ってほしいと数社の印刷屋さんを巡られたそうです。
 「本」という紙媒体で、きちんと伝える、
そんな想いがつまった本を私も蔵書していきたいと思います。


neki 

勝ち負けやお金、遠くにあるものに頼るのではなく、
身近にあるものや人との関わりが、「循環する」ことを
自然に理解しながら生活していた江戸時代の暮らし。
今の日本に足りないものを教えてくれる一冊です。



以上の内容は、ゆるやか文庫のAさんとnekiのWさんの紹介文をほぼ全文を掲載させていただきました。

第1弾

愛媛県今治市
カルマ (カレー屋さん)









店先に看板は存在していませんが、知る人ぞ知るお店。いつから仲良くしているんか、わからなくなってしまているけど、カルマさんが松山に来た時は、うちにも立ち寄ってもらってる。カルマさんの、これ好きだという本を写真ででしかご紹介できませんがご紹介します。


 これっていう本を出してもらったら、表紙がなんか焦げていた。どうやら、ストーブの上に置いていたら焦げてしまったのだという。そりゃそうだが、本を大事にしてもらいところ。
 自分の大事な本も、カバーにワインのシミだかついてしまっていたりと、人のことを言える筋合いないのですが。
 下の写真は、話の後まとめてどっと出てきた本。上の夫婦善哉もそうですが、内容について聞かず仕舞いだったので次回からは、何が面白かった、印象に残っていることなんか聞いていけたらと思います。
 店主は、絵を描いたり、時にはポエトリー(詩)などを書いていたり、ふわふわっとしたところが持ち味というか、得体のしれないところがあります。県内外の各地から来るという魅力のカレー。さすがにコロナの影響は受けているようで、大変そう。

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